西武ライオンズが黄金時代だった頃のファンの皆様には懐かしい、タイラー・リー・バン・バークレオ選手が現在大リーグで活躍しているってことご存知でしょうか?
わたくしは当時、秋山選手、清原選手に加わる形で西武ライオンズでAKB砲として活躍していた長身でハンサムで真面目な感じだったバークレオ選手が大好きでした。
日本にいた期間はそれほど長くなかった印象ですが、記憶に残る選手だったと思います。
バブル絶頂時の80年代後半に日本にやってきたバークレオ選手はメジャーでの実績が無く安い給料(とは言ってもプロ野球選手なので700万円)で頑張っておられましたが、今はどの様に過ごされているのでしょうか?
まとめてみました。
1.バークレオ選手のプロフィール
バークレオ選手は1962年10月7日にアメリカのカリフォルニア州オークランドで生まれました。
現在は56歳ですから時の流れは・・・と言いたくなります。
高校から米国のプロ野球機構に入ったのですが、ドラフトで指名を受けておらず、当初からそれほど期待値が高く無かった様に思われます。
ミルウォーキー・ブルーワーズの新人チームと契約を結ぶものの3年で解雇され、次にエンジェルズの下部チームに拾われます。
しかしそこでは後に大リーグで16年と長期に渡り活躍したウォーリー・ジョイナー選手とポジションが被り、上のチームに呼ばれることはありませんでした。
そんな時に、大きな当たりを連発しバッティングでチームに貢献していたバークレオ選手を当時、大久保博元捕手を教育リーグに派遣していた西武ライオンズの関係者が見かけて日本に呼び寄せられることになったのでした。
そんなバークレオ選手ですが、1987年のシーズン途中でライオンズに加入し1年目は外国人選手人数規制があり二軍で調整。
2年目はAKB砲と活躍したものの年棒は700万円とプロ野球選手としては格安。
3年目はベンチ入りしたものの強打者としてマークされ変化球に対応ができず徐々に成績を落とし、1991年には金銭トレードで広島カープに移籍したもののチームは優勝したものの自身は活躍できず退団。
日本の球団退団後は米国のコロラド・ロッキーズとカリフォルニア・エンジェルスに一塁手として試合に出場した実績もありますが、選手としてはあまり目立った成績を残すことができませんでした(選手として出場したのは14試合だけ)。
その後は米国でエンジェルスを皮切りに、アリゾナ・ダイアモンドバックス、オークランド・アスレチックス、ヒューストン・アストロズ・・・とマイナーリーグでコーチ人生を歩んで来られましたが、現在はクリーブランド・インディアンスで打撃コーチとして活躍されています。
バークレオと言えばこの応援歌でしょう。
↓当時日本で活躍していた外国人選手の特集動画です。
バークレオ選手は最後にでてきますのでお時間が無い方は早送りしてくださいませ。m(__)m
外野でボールを後ろに逸らしてますが、本職は一塁手なのでこれはしょうがないかな・・・と昔ファンだったブログ管理人は思いました。
2.バークレオ選手の現在
バークレオ選手は現在、クリーブランド・インディアンズで打撃コーチとして活躍されています。
本年度のバークレオコーチを紹介するクリーブランド・インディアンズのホームページから拝借してまいりました。
出展:http://m.mlb.com/cle/roster/coach/123628/ty-van-burkleo
やっぱり「おっさん」になってましたね。
日本に居た時代は美青年でしたが、56歳にもなると立派なおじさんです。
HPでは、7年目のシーズンをクリーブランド・インディアンズで迎えるバークレオ氏は38年のプロ野球人生を送っており、12年間メジャーリーグのコーチ経験があるとのこと。
2013年にインディアンズの打撃コーチに就任した時は得点力(745点)と四球選択回数(562)でインディアンズをアメリカンリーグで4位の成績に押し上げたとのこと。
2016年にはインディアンズはアメリカン・リーグで得点力2位で終了(前年669から777に大幅向上)。
2017年と18年は共に818得点と好記録を残すことに成功。
6年間の就任で全15チームの中上位4位の得点力を記録したことが4回。
インディアンスに所属する前はヒューストンアストロズのファームチームで2年、シアトル・マリナーズではダン・ワカマツ監督の下でベンチコーチを2年、オークランドA’sで打撃コーチを2年経験、アリゾナダイヤモンドバックスのマイナーリーグで3年、エンジェルスのマイナーリーグで6年間ヒッティング講師として活躍していた・・・と書かれてあります。
4年前の動画ですがどうぞ。
動画からも真面目な感じがとても良く伝わってきます。
2019年の画像
出展:http://www.zimbio.com/photos/Ty+Van+Burkleo/Cleveland+Indians+Photo+Day/kudXVHYRnMO
アストロズ時代のバークレオコーチ
出展:http://www.zimbio.com/photos/Ty+Van+Burkleo/Philadelphia+Phillies+v+Houston+Astros/YuaaV-CSojD
2008年にオークランドA’sが日本にやってきた時の様子。 巨人と戦い圧勝。試合後に日本のファンに腕を振って応えるバークレオコーチ(隣は日系4世のカート・スズキ捕手)
出展:http://www.zimbio.com/photos/Ty+Van+Burkleo/Oakland+Athletics+v+Yomiuri+Giants+Preseason/jRjM8hSwGjD
こうやって昔日本で活躍していた選手が元気な様子を見せてくれると嬉しいですよね。
3.ネットの声
80年代では異例の西武黄金時代“育てる助っ人”バークレオとは?/平成助っ人賛歌【プロ野球死亡遊戯】 https://t.co/IOifRe4Zzk
“91年には広島へ金銭トレード移籍。小早川毅彦とポジションを争い、開幕戦で「五番・一塁」を勝ち取るも故障”
“20代の後半の若さにもかかわらず、わずか1年で退団した。”
— 山本弘一郎 (@koichiro_yama) 2019年6月19日
【#平成助っ人賛歌】
80年代では異例の西武黄金時代“育てる助っ人”バークレオとは?/【プロ野球死亡遊戯】成績・プロフィールhttps://t.co/bQj8iNkIHJ
戦力充実期のチームだからこそ実現できた年俸700万円助っ人の獲得である。#seibulionshttps://t.co/ZT2rZKTBBe
— 週刊ベースボールONLINE (@BaseBallMOnline) 2019年6月19日
1989年6月18日、西武はバークレオの登録を抹消し、新外国人のオレステス・デストラーデを一軍登録。森祇晶監督は22日からの近鉄、27日からオリックスと各3連戦、その半分に「左投手が来るのは分かり切っているから」と両打ちのデストラーデに期待。今季不振のバークレオに奮起を促す。東京中日89.6.19 pic.twitter.com/i7LhyBfWzx
— 振り逃げ満塁ホームラン (@furinige2013) 2019年6月18日
秋山清原バークレオのAKB砲だったんだよなぁ(笑)
— 幻右京@パピ箱推し← (@ukyomaboroshi) 2019年6月19日
バークレオ!!私の中では、あの頃のスタメンは彼よ!https://t.co/qcdQYtLy06
— ヨウソン (@yousonghui) 2019年6月19日
バン バークレオ懐かしいですね
最後広島に移籍したんですよね。— metal (@AMARANTHEKEE) 2019年6月19日
4. まとめ
バークレオ選手の現在。いかがでしたか?
西武では長いこと活躍できず、広島でもダメで大リーグに行っても選手としてはダメだったバークレオ氏が現在は大リーグで大活躍しているのを見て嬉しく思いました。
今後も活躍を続けて良い選手をたくさん育ててほしいものです。